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| 第37号 2005年5月6日(金) |
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来週末は、ここサンイシドロで最大のお祭りがあります。「遊びに行くよ」と言ってくれていた友人からは、「やっぱり行けない」という電話。ああ、残念。先生たちは、お祭りのための資金集め等々の準備に大忙しです。
オキナワ
週末、オキナワへ行ってきました。といっても、日本のではありません。そう、オキナワ移住地です。日本の県名を持つ国は世界にたった1つ。それが、ここオキナワ。第2次世界大戦後、地上戦によって荒廃した沖縄からの移住者を受け入れて発展した移住地です。現在は、オキナワ第1、第2、第3と3つの移住地に分かれています。昨年で、移住50周年を迎えました。オキナワは、小麦の生産が盛んで、8月15日の入植記念日は、「小麦の日」だとか。毎年、豊年祭が開催され、沖縄とボリビアの民族舞踊やエイサーが披露されるそうです。
オキナワは、私の暮らすサンイシドロがあるサンタクルス県の中心地サンタクルス市から北へバスで1時間、そしてさらに東へ40分程度のところにあります。普通のボリビアの田舎町といった感じです。鳥居があったり、不思議な風景です。
友人がキリスト教系の幼稚園で勤めているので、見学させてもらいました。生徒は日系人がほとんどだとか。授業は、スペイン語と日本語の両方で出席をとったり、歌を歌ったりするそうです。
ここオキナワには、三線(サンシン)作りの職人もいるそうです。
衝撃の一言
病気療養のため、11月末から実家に帰っていた友人が職場復帰をするため、サンイシドロに戻ってきました。みんな嬉しい反面、とても心配をしています。復帰したのは、病気が良くなったこらではありません。家にずっと(何もしないで)いたら、病気の辛さだけが増すので、何か集中するものがあったほうが気分もまぎらわすことができるから、働くことになったらしいのです。とても、働けるような様子ではありません。でも、「働けなくなるまで働きたい」という友人。わたしとたった2歳しか年は違いません。でも、もう数年しか生きられないと医者からは言われています。さらに、1回の治療費(40日ごと)は、友人の1ヶ月の給料の10倍程度(500米ドル+薬代100米ドル(1ヶ月))。わたしに一体何ができるんだろうと思います。
友人は、高校の美術の先生。ある日、「どうして小学校ばっかりで働いてるの?」と聞かれました。私たちの学校は3部制。午前が小・中学校(8年生まで)、午後が高校(4年生まで)、そして夜間(4年生まで)。「肩書きは小学校教諭だから・・・」という私に、「日本のボランティアをここサンイシドロに呼んだのは、小学校、中学・高校、夜間の全体的な学校運営のため」だと。「私、言葉もうまく話せなかったし、小学校だけでも手いっぱいだったし・・・」、友人は「もう、遅すぎるよ」と一喝。言い訳ばかり並べてしまう自分にうんざり。そして、私に火がつきました。久々の「喝」。苦言を言ってくれる人は、ほとんどいません。大人になってからは少なくなるばかり。だから、注意をしてくれたり、言いにくいような嫌なことを言ってくれる人は本当に有難いです。
「ボランティアって何だろう」とまたまた考えます。広辞苑には、「自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」とあります。久々に訓練時代のノートを開くと、「自発的参加」やら「隊員一人当たりのコストは640万円」だとか「協力隊事業参加者としての責任を果たせ」とか「公人としてしっかりしろ」とか、色々書いてあります。初心に帰れってこういうことだったのかな。