![]()
| 第16号 2004年10月29日(金) |
![]() |
初めて風邪をひきました。日本人がボリビアで暮らすと、1ヶ月を経過したあたりで下痢になり、それを乗り越え、こちらの生活に慣れると聞きましたが、私には訪れることなく安心しきっていました。しかし、ついに、寝込みました。疲労? 気苦労? 思いあたることはいくつかあります。異国で風邪をひくと結構辛いです。食べたいもの(梅干入りのおかゆ)が手に入らない。飲みたいもの(生姜湯やくず湯)もない。様態を理解してもらうためのスペイン語を話すパワーもない。でも、こんなときに同僚や友だちのちょっとした言葉を有難く思います。1ヶ月間に、大切な仲間に出会えたことを感じます。
先輩隊員の活動紹介@
もうすぐ帰国される先輩2人の活動を紹介します。
ボリビア全土には約130人の隊員がいます。全9県ある中、第2の都市のあるサンタクルス県には15の郡があります。その1つカバジェロ郡には3名の隊員がいます。先輩2人と私です。お二方は、住民のニーズに沿った地域に根差した活動をされており、私にとっては自慢でもあり、憧れの先輩です。日本で10年の勤務経験のある「看護士」田村先輩と、「村落開発普及員」神志那(コウジナ)先輩。田村先輩は、「看護士」として病院や診療所等で勤務されています。神志那先輩の職種である「村落開発普及員」は、現在協力隊の選考試験で最も人気のある職種だと言われています。仕事内容は、村落を調査し、ニーズを見つけ、村の生活が豊かになるための活動をします(日本の戦後にいらした生活改善普及員さんのような存在)。隊員の力量が問われる本当に難しく且つやりがいのある職種だと思います。お2人が赴任されたのは、2003年1月。まず、神志那先輩は、30以上の村を周り、ニーズ調査をしたそうです。そして、最初に始めたことは「釜戸」作り。村人にプレゼンテーションしながら、自分で実物を作って見せながら、より機能的な釜戸を作りました。村では、ずっと釜戸は使われていたそうですが、質が良くなかったとか。また、看護士の田村先輩が、釜戸でやけどをして病院にやって来る子どもが多いため、「釜戸を、子どもの背が届かない高さにしてみるといいのでは」と提案。神志那先輩は、すぐに釜戸の高さをちょっと高くしたそうです。
評判は、口コミですぐに広まります。釜戸を作ってうまくいった人(はるかに便利になった人)が現れると、「我家でも、作りたい!」と言う人が山のように押しかけたそうです。最初は神志那先輩が中心となって作っていた釜戸も、村人たち自身が作り始めました。村人が村人に教え始めました。さらに、日々使う人たちだからこそ、出てくるアイデアがあります。お玉置き付きの釜戸も生まれたそうです。
現在は200以上の釜戸が普及しています。その話を聞いた私の同期隊員も、他の地域ですが、住民と共に(神志那先輩が普及した)「釜戸」を作り始めました。素晴らしいことは、「広が」っていくことを実感します。
初めての田園生活F〜銃声を聞いた!〜
時々、夜中に銃声がします。何のためだと思いますか? 初めの頃は恐ろしくて眠れませんでしたが、毎日のように聞くためが慣れてきました。大抵、夜中の12時に銃声がします。そしてたくさんの犬がワンワンと吠えて、走り去ります。なんと、銃声は誕生日を祝う合図だとか。ここでは、銃を持つことは認可されており、大抵の家庭には銃があるそうです。しかし、許可なしに持っている人もいるそうです。身を守るために認可されているようですが、時々悲しい事件も起こっているそうで、「やはり持たないのが1番」と考えるのは、日本は安全な国だと言われてきたからでしょうか。どうにもならないことはたくさんあります。