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| 創刊号 2004年7月16日(金)4200mのボリビア到着! |
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こんばんは。みなさんお元気ですか? 協力隊へ参加することが決まってもうすぐ1年が経ちます。 3月に卒業生を送り出し、4月から広尾での2ヶ月半の訓練を終え、10日の準備期間の後、ボリビア へやって来ました。挨拶もそこそこで出発してしまし本当にごめんなさい。そのお詫び(!?)に、お 便りを送付させていただきます。お便りの題名は「ボリビアからの朝のリレー」。由来は谷川俊太郎さん の詩。このお便りを私は朝に書きます。日本とボリビアは地球の真裏にあって時差が12時間。ボリ ビアが朝のとき日本は夜、ボリビアが夜になると日本は朝。ボリビアで朝を迎える私から、これを読ん でくださるみなさんへ、日本には情報のほとんど届かないラテンアメリカの熱さ(!?)とともに朝の バトンをまわします。ぜひ、ボリビアのことや私の活動について知ってもらえたらなと思います。
いよいよ地球の裏側へ出発
7月14日(水)高知龍馬空港を出発、東京で一泊した後、15日(木)に成田空港から出 国。成田ではたくさんの人々がドラマのワンシーンのように別れの涙。こんなときは、見送るより見送られる方が気楽かもなと思う。見送りに来てくれた2歳の姪は、「ここがボリビアなの?」と不思議そうな顔。愛らしい彼女の今後の成長が見られないのを残念に思ったり、不安(スペイン語まだまだやし・・・)や期待(せっかくの2年間という有難い機会)が交錯するなか、「困ったことがあったらいつでも連絡しておいで」という先輩の言葉や「いい旅立ちだね」という親友の言葉に後押しされ、ボリビア隊員22名と共に出発。
飛行機は乗り換え3回、機内食は計5回。寝て起きて食べての繰り返し。いくら寝ても、ボリビアには なかなか着かない。成田を出国したのが15日午後7時、ラパスへ着いたのが日本時刻の17日午前1時だから、約1日半。家を出発したのはもっと前だから、2日程度の長い長い移動だった。NYを経由し、ブラジルサンパウロへ、そして、ボリビアのサンタクルスを経由し首都ラパスへ。1年前には名前を聞いたことしかなかった国ボリビアに自分が暮らすようになるなんて、飛行機から降りるときは胸が一杯だった。
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高山病とはなんぞや?
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1日半の移動旅行を終え、到着地は高度4200mのラパス空港。誰もが恐れていたのが高山病だった。最初の1ヶ月過ごすラパス市は、空港から600mくだった3600mのところ。富士山と200m程度しか違わないから結構なものだ。高山病は気圧が下がるため、低圧低酸素に体がついていけず(酸素がうまくとりこめなくなり)起こる。軽度では頭痛や息切れ、重度になれば意識混濁・心不全、放置すれば死にまで至る。私は、血中酸素が高く、ちょっとしたダルさ、そして呼吸困難程度だった。隊員仲間の中には酸素を吸入する者もいる。それだけ過酷な病気だ。命を失った人もいるというから本当に用心をした。
それと伴にこたえたのが寒さだ。日本は夏真っ盛りなのに、南半球は冬。さらにここは高山。到着したのは午後1時で、多少肌寒い程度で日差しがきつく安心しきっていた。しかし、夜になった途端、気温は氷点下に。ダウンジャケットを着込んだが、南国育ちの寒がりの私にはこたえる。さらにシャワーのお湯はでず水風呂。寒さにふるえ、たくさんの不安と期待を抱きながら1日目の夜を迎えた。
次回は国民投票(7月18日(日))について
全交通機関がストップ。その数日前からアルコール類販売全国禁止。道路封鎖の準備スタート。ボリビアの大切かつ大変な1日に居合わせる私たちには外出禁止令がでていますが、どうなることか。
このお便りは勝手に送らせて頂いておりますので、どうぞ読み飛ばしたりなさってください。2年間にひとつでも南米のことに興味を持っていただけると幸いです。