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自分で歩く、色々とやってみないと何も生まれない 2004年8月より、青年海外協力隊の村落開発普及員として、サンタクルス県コトカ市のコトカ市役所〔Alcaldia de Cotoca〕で活動中。コトカ市は、サンタクルス市の中心から、乗り合いタクシーで30分程の町。三宅康平さんは、コトカ市役所(70〜80名職員が勤務)の教育文化スポーツ課〔Participacion Popular Educacion Cult. y Deportes〕に配属されている。課の職員は9名前後、民衆が求めること、身近なものをなんでもやる部署である。 ○“かまど”プロジェクト
現在、“かまど”プロジェクトを着々と進め、コトカ市役所からタクシーで10分程度のタロペ〔TAROPE〕村(人口約1,200人)を中心に活動している。これまで作った“かまど”は、40個程度。タロペ村をはじめ、エルビスト〔EL VISTO〕など他の村も合わせて全部で200個作ることを目標にしている。この“かまど”は、熱効率が良く、燃料の薪が少なくて済む。そして、一度に複数の鍋を火にかけることができるという利点がある。 タロペの住民も、ガスを使って料理することはあるが、使うのは外で火を使えない雨の時だけ。普段は値段の安い薪を使って“かまど”で料理する。この“かまど”作りは、「住民と親しくなる為、その村落に入る為のツール」として捉えている。 「だから、立派な“かまど”を作ろうとも考えてないし、長持ちする“かまど”をつくろうとも思っていない。住民が喜んで使ってくれるんだったらそれでいいかなぁ、と。将来的には、村人全員がガスを使って料理するようになって欲しいですし。まぁ、壊れたときに自分で作り直さなくても。でも、自分たちで作ってくれるのが一番嬉しいんですけどね。」
○ミミズプロジェクト
ミミズの研究をしているサンタクルス市内の大学に協力を依頼して、ミミズプロジェクトも計画している。コトカ市ではレンガ造りが盛んで、タロペでは良質の土はすべてレンガ作りに使われている。残っているのは、栄養分の無い土で、畑で栽培されているのはサトウキビなど土地が痩せていても作れるものが中心となっている。その土を、このミミズプロジェクトでかえたい。 「今住民を組織している所です。村落で人を集めて。その人たちを大学へ連れて行って、先生に教えてもらう」つもりだ。 「小屋の中に縦幅10mぐらいの溝を4本掘り、1つの溝に約1トンの(肥料をつくる)計算で、ミミズの餌となる牛や豚の糞を投入していき、肥料を作って行こうと思っています。」 最初は、そこにミミズを3,000匹位投入する。「ミミズが牛の糞を食べ、糞をしていって、それ(ミミズの糞)が下にたまっていくんです。ミミズは自分の糞が嫌いだから、どんどん上に上がっていくんですね。あとは、上に餌(牛の糞など)を入れていけば上にどんどんあがってきて。うまいことできているんですよ。1ヶ月間で(ミミズは)2倍くらいに増えます。」 そのミミズの糞は、栄養分のある肥料になる。「ガーデニングとかやっている高級住宅地で売れるかもしれない。」 「以前アンケートを行った所、月々の収入にあとプラスで大体300BSか、200BS位欲しいという回答がありました。10人位のグループを作って、ミミズをやれば、毎月ではないですが、3ヶ月に1回、1家族に300BS位の収入が入ります。」 更に、このミミズを餌にして養鶏と、肥料を使って有機栽培をする計画である。ミミズ→糞(=肥料)、ミミズ(=餌)→養鶏、肥料(=ミミズの糞)→有機栽培の3つの活動が1つのプロジェクトとなる。 ・養鶏〔ミミズ=鶏の餌〕 ・有機栽培〔ミミズの糞=肥料〕 タロペがモデルで、ここが上手く行ったら、同様のプロジェクトを他の村落でも行うつもりでいる。タロペは、「(コトカ市中心部から)近く、もう知り合いもいっぱいいて、やる気もあるので、一番やりやすいです。」 ○地域のグループ(地域組織)作り この取材の翌日には、三宅康平さんが呼びかけて最初の集会が行われる。これらの、プロジェクトを実行するグループ(地域組織)を作ることが目的だが、最初にミミズや養鶏をやろうという話しはしないつもりでいる。 「どれぐらいの人が集まるか、どれぐらいの人が自分の生活を良くしようと考えているのかなど、1、2ヶ月ぐらい確かめてみてわかると思います。最初の集会では、あなたたちは何が欲しいんですか、何が問題だと思いますかとか、聞いてみようかと思っています。」 次は、パン講座を企画している。「ホームステイ先がパン屋さんなので、そこのお母さん達に手伝ってもらいます。」村の住民も家でパンを作っているが、それはただ焼いただけのシンプルなもの。住民たちからの要望がある、クニャペ〔Cunape・ユカ芋の粉からでできたチーズパン〕や、パン・デ・アロス〔Pan de arroz・お米のパン〕ボリビアの調理パンなどの作り方を教えたい。 最初は全員に参加を呼びかけたが、今後の集会では、「前回話し合ったことを踏まえて、何があなた達にできそうか、どうやったらいいか、とか考えて、少しずつアイデアを具体化させ、最終的には10人位のグループにしていきたい。10人まで絞るのは相当大変だと思います。だから簡単な講座から始めて」様子をみていく。
「やっている事はすごく好きですね。色々と、釜戸作るのとか、土とかいじるの好きですしね。自分の考えていることを色々悪戦苦闘しながらやっていけるからやりがいがあるし。自分にはこんな所があったのかなっていう自己発見もあります。」 ○日本では何をしていましたか? 大学では、法律学部法律学科で学び、その間の1年間は、インターンプログラムで、アメリカへ。アメリカの大学でビジネスの勉強をし、半年間はインターンとして出版と金融の会社で働いた。中国も「大好き」で、2回足を運び、旅行と短期留学をしている。協力隊合格は、半ば偶然の形で舞い込んできたが、「海外で働くということへの憧れと、開発系の仕事をしてみたかった」という思いは昔からあった。 将来は、「教師になりたい」。その前に「色々と社会経験をしたかったのと、世界で仕事をしたかった。帰ったら、10年間くらいは会社で働きたいです。そして、30歳後半から40歳で教師になりたいですね。働きたいのはのびのびした場所、海外の日系移住地とかもいいですね。」 ○ボリビア人に接してどうですか?
○楽しいことは? 「もう目新しい発見とかはなくなってきたので、刺激は少なくなって来たけど。でも1年間地道に続けてきたことが結構いっぱいあるので、“かまど”やエイサーとか。あと近所の子どもとサッカーとか。そういった続けることによって連帯感とかいろんな楽しみがでてきて。そういうのが今どんどん出てきているから。相乗効果で生活が活性化しています。」 ○最後に一言ありますか? 「こっちに来て、仕事や生活がつまらないと言う人(協力隊員)がいますが、日本の社会で与えられることになれていて、その延長でこっちに来ているとしたら、そのつまらないのも、仕事が見つからないのも、与えられるのをいつまでも待っているからだと思うんです。 僕もこちらに来て少したったころに悩んだ時期があったんですけど、その時悩んだのは何で来たのか、今の活動が将来の何に繋がるのか、っていうのがよくわからなくて、やっていて不安になることもありました。何でここにいるんだろう、日本に帰ったらもっといろんな事があるんじゃないか、と思ったんです。 ですが、それは、与えられるのを待っていて、自分で探すことを全然していなかったからつまらなかったのであって。こっちに来ても特に何かがあるわけじゃなくて。自分で色々と、重ねて積み上げていく行動を取らなかったら、楽しいことが生まれる訳はないし。活動も自分で歩くというか、色々とやってみないと何も生まれない。何かしないと、楽しい毎日は迎えられないなと思います。」
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