色んなところに出て、自分で住める場所を見つけていく
- 日本食品販売店店長 三浦孝さん-
スーパーオキナワの隣りにかまえた店舗に日本食品などが所狭しとならび、頻繁に人が立ち寄る。この“三浦商店”の店長三浦孝さんに、移住の経緯や仕事・生活について話をうかがった。
移住の経緯
ボリビアに来たのは、1992年に第7回の海外開発青年(*1)で。任期は3年間。配属先はCAISY。コンピュータープログラマーとして、CAISYの本部のあるサンファン移住地と、ラパス支所で働く。その後コチャバンバの電気修理店の店長を1年間担う。日本に一時帰国後、再びコチャバンバで働き、その後サンタクルスへ。サンタクルスで約半年間コンピューターのお店を共同経営する。96年からは一人でサンタクルスにコンピューターのお店を開いた。
三浦商店開店
ボリビアに来て大変だったのは、「不景気に入ってしまったことですね。3,4年前に不景気でコンピューターが売れなくなった」こと。
それをきっかけに、2年前から日本食品の取り扱いをはじめて、今はそれが軌道に乗っている。「当初はまだ卸しで、店舗を構えたのは、2003年12月のはじめです。オキナワ移住地のお店も同じ時期に開きました。」
メインは日本食品の販売。ブラジルのサンパウロにいる知り合いのところから卸してもらっている。オキナワ移住地の店は日本食品の販売のみだが、サンタクルス市の店では、他にも、日本の雑誌の取寄せ、コンピューターのメンテナンス、アラームなどのセキュリティー関係などを扱う。
お店をのぞくと、大抵お客さんが訪れている。「ほとんどは日本人(日系人)です。移住地の人がほとんど。」 最近は、時期によってはバックパッカーも集まる。 |
|
三浦商店前で娘さんと。
三浦孝さん、青森県出身1959年生まれ。日本の大手企業でプログラマーとして働いていたが、1992年32歳の時に、ボリビアに来た。今年でボリビア生活13年目。現在、サンタクルス市内とオキナワ移住地で日本食品販売店“三浦商店”を営む。4人の娘と、1人の息子のお父さん。サンタクルス中央日本人会の役員も勤める。 |
|
ラパスなど他の地域の人なども店に立ち寄り、広い人脈があるように見える。
「そんなことはないと思いますけど。コチャバンバ、ラパスと行っていますから、それでその場所でまた友達はいますけどね。」
アルバイトで、トヨタカップの南米予選である、リベルタドーレス杯の看板チェックのボリビア担当も勤める。その決勝戦へは、毎年観戦を招待され、各国担当が集まる。ここでの交流を通じても人的ネットワークが広がる。
家族
ボリビアに来てよかったことは、「子どもが生まれて家庭をもったこと」
コンピューターの仕事で行ったリベラルタで、知り合い98年に結婚。99年に双子の女の子が生まれ、2003年に男の子が産まれる。 妻は再婚で、現在子どもは 5 人。
妻のノラさんは、「おじいさんが1世。おばあさんが2世。 お母さんがオルロ の人と結婚して、生まれたのがノラですから、 2世に近いような感じがする」日系3世。
ノラさんは、ボリビアとブラジルの国境の町、グアヤラメリンで生まれ、ブラジル側で育った。 国境の町だから、「ボリビアもブラジルもないような感じで、日本人としての意識の方が薄いですよ。ボリビア人かブラジル人か。そんな感じになっていますよね。ポルトガル語がペラペラですし。」
グアヤラメリンは、日系人はいるが日本語は話せず、日本の文化は全くないという。しかし、ノラさん方の親戚の多くが日本へ出稼ぎに行っていて「ボリビアに残っている方が珍しい」
オキナワ移住地のお店は、ノラさんに任されていて、長女、次女も手伝っている。
「子どもは全員移住地の方です。上の子達は、 サンフランシスコハビエル校へ。小さい子は、オキナワ第一日ボ学校に通っています。」
家族の暮らすオキナワ移住地へは週一回、日曜日の午後に帰り、翌朝早くにサンタクルスに戻ってくるという生活を送っている。
 |
ノラさん(中央)と子ども達
(後列左から2人目は友達) |
子どもの将来
「女の子には皆日本に行ってもらいたいですね。だからオキナワ移住地で 日本語の学べる日ボ校(*2)に通っているんです。一番下の男の子は、やっぱりボリビア、南米で仕事してもらいたいですね。」
女性の場合は、日本の方が様々な仕事があり職に就きやすいから、日本の方が生きていきやすい。 でも、男の子は、
「まぁどこ行っても仕事ができるからね。まだ2歳だからどうなるか分からないけど。(笑)」
勉強の為に、例えば、日本やブラジルへ研修に行くというのはわかる。でも、習慣や教育レベルなど色々な事が違いすぎるから、日本で一生涯仕事をするというのは難しいし、やらせたくない。
「ここだったら、すっからかんになってもなんとかなりますしね。どこでもね、男だったらね。せっかく生まれたんだから、そんなに、せこせこ生きなくてもいいんじゃないかと思いますよね。」 |
日本
「日本は、たいしたものというか大変なえらい国だと思いますけどね。世界の中での日本ってやっぱ大きいですよね。産業に関してもそうですし、でも目立たないというのがありますけど。でもね、いい国だと思うけど、そこで住める人と住めない人が出てくる。」
三浦さんの場合も、「ちょっと厳しすぎる」と思って出てきた日本。
「その中でできる人はそれでやればいいと思うし、できそうになければ色んなところに出て探して、昔の農業移住じゃないですけど、自分で住める場所を見つけていく。その中で自分が住めればいいのだろうし」
出身は青森。会社のあった埼玉での生活が長い。息苦しかったのは、周り目。
「しばられてしまうっていうんですかね、その枠の中で。そういうのがやはり嫌だったんですよね。世間体を気にして。人の目を気にして。人のやってないことやるとすぐ見られて。人をうらやむっていうんですかね。誰かが良くなるとすぐに。悪くなっても良くなっても 人の口がうるさいっていうのがありました。」
ボリビア
「ボリビアはやはり、遅れていますよね。なかなか発展できないというか、混乱状態がこのまま続くのでしょう でしょうが、しかたないですね。 」
サンタクルスは特に気候的にも温暖で、気楽に住もうと思えば、住める。でも、物価が安い分収入が低いため、子どもを日本で勉強させるなどとなるとなかなか厳しい。
でも遅れている分、入り込む余地がある。 「(日本食品店も)残っているのうちだけですからね。これもやりようによっては、誰でもできるような感じがします。でもそういう所を誰もやらない。やればそこそこ儲かるのに誰もやりたがらないというか、やる気持ちがないっていうか。そういう意味では入り込む余地というか、やろうと思えば食べていける。」
商品の価格の競争もあまりない。 値段の宣伝をしていないから「ここは、(商品が)2倍も3倍も高かったり、というのも良くある。そういう意味では値段が多少高くても売れていたりとかあるから、やりやすいといっちゃやりやすいですよね。だって安いところにみんな集まるっていう訳じゃないから、そういう意味でまだまだ抜けてるなぁって思うんですよね。」
今後の生活
「早く子どもが大きくなってくれればいいですけどね。まだ、一番下の子どもが2歳ですからね。当分無理にでも働かないといけないですねぇ。(笑)子ども大きくなったらまたどっか別の国でも行って生活してみたいですね。例えばカナダとかヨーロッパとかわからないですけどね。」
それには、妻のノラさんも同意している。 「店閉めてどっかでまたもう一軒やろうかって。子どもが皆大きくなったら誰かに任せて、こんどカナダ辺りでまた日本食品の店やるとかね。そういうの面白いだろうなとか。」
「違う新しい環境、新しいところで」の生活が、「面白いですよ。」 三浦さんもノラさんも「どこに居ても余り気にしない」と住む環境の変化に抵抗がない。
日本に居たときは、会社勤めだったため、会社の近くにずっと住んでいたが、ボリビアに来てからは、 「一年一年がすごい変動というか色んな事が起こりますね。一年で家がかわったり、子どもが生まれたり。」
そして、最近は、クニャーダ(義兄)が、3人の小さい子どもをノラさんへ預けて、日本へ出稼ぎに行った。オキナワ移住地では、ノラさんと子ども8人が生活している。
「ほとんど幼稚園みたいですよ。(笑)日本じゃ考えられないですよ。いきなり子どもが3人来たなんていったら。(笑)ここでもねぇ、移住地の人はいいますよ。よくやりますね。って。(笑)そりゃそうですよね。まぁそういう意味ではボリビア人に近いですよね。感覚としては。」
力まずにたんたんと話す言葉に、どこでも滑らかに生きていける柔軟な姿勢を感じた。
(2005.3.24 / MK)
*1 日系社会青年ボランティアの前身に当たる
*2 オキナワ第一日ボ学校のこと
|
|
〜 三 浦 商 店 〜
|
| 業務内容: |
日本食品販売、日本からの雑誌取寄せ、セキュリティー関係(アラームシステム、監視カメラ、監視ビデオ)、コンピューターメンテナンス、なんでも相談(旅行、サッカー研修、仕事紹介など) |
| 営業時間: |
月曜日〜土曜日 7:00〜20:00, 日曜日 7:00〜13:00 |
| 場所 : |
Calle Antonio Vaca Diez #267 (スーパーオキナワ隣り) |
| URL: |
http://www.bolivia-miura.com |
| Tel/Fax:339-0307, Cel:710-15692, E-mail: bomiura@yahoo.co.jp |
“サンタクルスへお越しの際には、是非お立ち寄りください。” |
|
|
前(ボリビアに生きる・暮らす人々)のページへ