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1.Tiwanaku遺跡(Tiwanaku文化) 【概要】
ボリヴィアを代表する遺跡。ボリヴィア国のパスポートにも、この遺跡にある太陽の門が描かれており、ボリヴィアのシンボル的存在となっている。 起源は、紀元前後ころにさかのぼるといわれているが、はっきりとしてくるのは、A.D.400年ころから。A.D.1100から1200年ころまで続いたといわれている。生態学的に厳しいといわれていたアルティプラーノ(高原地帯)で生まれた国家規模の複雑な社会構造を持っていたとされているが、詳細は不明である。 現在、ティティカカ湖周辺にはアイマラ族が住んでいるが、彼らの先祖がティワナク遺跡を作ったのかどうかは不明で、さまざまな説があり、現在も論争中である。 アイマラ語(ハケ語族)は、もともとペルーのリマ北東の山岳地帯が起源という説があり、ティワナク文化崩壊後に、ティティカカ湖へ南下してきたという説もある。ただし、現在のアイマラ族・アイマラ語の広がりが、ティワナク関連遺物の分布範囲とほぼ重なっていることも事実であり、この点も重要である。そのため、今のところ、この文化の担い手の主な言語集団に、定説はない。 当時は、アンデス考古学の編年でいうところの中期ホライズン期にあたる。同時代、現在のペルーにあったワリ社会と似たような特徴をもつ図像が用いられており、何らかの関係があったといわれている。 この遺跡のもつ見事な切り石は、後のインカにも影響を与えたとされている。ただし、ティワナク遺跡の切り石は、ほとんどが豆腐のような方形をしており、また、一部では表面を丁寧に擦って磨いているものもある。 ちなみに、インカの石壁のほとんどは表面を擦って磨いてはおらず、小型の石でもってコツコツたたいて表面を整形をしている。そのため、よく見るとでこぼこにへこんでいるのがわかる。もちろん風化のためもある。 石材は、ペルーのプーノ近くやコパカバーナから持ってきたものもあるというが、詳細は不明である。ただし、ティワナク谷のティティカカ湖周辺にあるイワウィ遺跡では、石材を引きずったあとがあるといわれており、ここから石を荷揚げしてティワナク川を伝って運ばれたともいわれている。 なぜティワナクの社会が崩壊したのか、その原因はいまだ不明である。 【遺跡】 遺跡の中心部の面積は4.2ku、遺跡中心部におけるかつての人口は10,500-50,000人(Ponce Sanginés 1976(1972):62)と想定されている。また、近年の研究では面積は6ku(Kolata&Mathews 1988 cited in Janusek 1994:64)と見積もられている。 周囲には巨大な堀が巡り、建造物の集中する区域とその外部とを隔てていたようである。現在張り巡らされている金網の外にも遺跡は広がっている。 現在復元されているカラササヤ、現在ではただの丘になってしまっている。アカパナのピラミッドをはじめ、半地下式神殿、プトゥニと呼ばれる支配社会層の住居址、カンタタリータ(用途不明)、ケリ・カラ(倉庫?詳細不明)、月の門などからなる。 カラササヤには太陽の門と呼ばれる一枚岩の門があり、精巧な彫刻が施されている。元の位置は不明である 半地下式神殿には、モノリートのほか、壁のあちこちに顔を象った石頭が突き出ている。これはペルーのチャビン・デ・ワンタル遺跡にも見られる特徴であるが、顔の様式は異なっている。 遺跡中心部から少しはなれたところに、プマプンクと呼ばれる基壇をもった建築物もあり、こちらは巨大な一枚岩を何枚も用いて建てられていたようであるが、破壊がすさまじく、当時の面影はほとんど残っていない。 残念ながら、カラササヤを除いて、ほとんどが修復保存をされておらず、現在ではかつての面影をしるよしもない。 アカパナのピラミッドは、全部で7段からなるといわれており、それぞれが異なる建築方式で組まれていたという。中央には階段があり、階段の入り口にはチャチャプーマといわれる黒色玄武岩製の動物の像が左右におかれていたという。頂上に葉人間の活動跡があり、部屋状の建物がたっていた。また、あちこちに緑色の川原石が敷き詰められており、これは近くの信仰対象だったキムサチャタ山の川原からもたらされたという。 アカパナのピラミッドの裏手、少し離れたところにあるカンタタリータには、スペイン人による征服当時は門が建っていたという。現在では門のリンテル(まぐさ)がころがっており、ここにも精巧な彫刻が施されている。 遺跡のほとんどが未発掘の状態で、また修復や保存もされておらず、全容は不明であるが、国家レベルの社会であったであろうといわれている。
【建築の特徴】
カラササヤや半地下式神殿のような方形の囲み状の建築物と、アカパナのピラミッドのようにオープンな建物からなる。 また、カラササヤやアカパナ、半地下式神殿などでは、大きな柱状の石版を距離を置いて建てて、その間にやや小型の石を詰めるといった建築方式がとられており、ティワナク遺跡の特色となっている。これらは主に砂岩からできており、現在では一部、風化が進んでいる一部柱には文様が描かれていたとされているが、風化も進んでおり詳細は不明である。 全体的に、水路が非常に発達しており、アカパナやプマプンクでは構造物の中にまで水路が張り巡らされていたといわれている。 遺跡の石材のうち、砂岩は近くのキムサチャタ山(遺跡から南方方向、舗装道路側の方向)近くから持ち運ばれたとされている。向かっ手反対方向のタラコ山脈では、珪岩やチャートが産出され、道具として遺跡内で利用されていた。 【土器】 ティワナク文化に特徴的なのが、ケーロといわれるコップ状の土器である。ケーロは、儀礼のために利用されていたといわれており、トウモロコシ酒(現地語でチチャと呼ばれる)を入れたといわれている。 このケーロの中には、人の顔を象ったものもあり、よく見ると、コカをかんでいるような口元をしているのがわかる。図像は、幾何学文様から、プーマやコンドル、リャマなどが描かれている。 これらは村の博物館で見ることができる。 【生業】 主に、テラス農耕や堀を伴った盛畑(SukaKollu)農耕、コチャ(ため池)農耕、乾地農耕などを行っていたが、そのほかにもティティカカ湖の漁撈やリャマやアルパカといったラクダ科動物の飼育をしていた。また、コチャバンバや現在のペルーモケグワにも飛び地を持っており、高地では栽培不可能なコカやトウモロコシなどを得ていた。 【彫刻】 太陽の門には、真ん中に杖を両手にもった神様の像が、周辺にはそれに仕えていたと思われる像が描かれている。これらは、当時の人々の信仰対象であったと思われるが、さまざまな説があり、定説はない。 【その他】 頭を人工的に変形させた(頭蓋変形と呼ばれる)人骨が多数出土している。これは飛び地のモケグワからも出土している。 青銅技術が発達しており、建築の石材をとめるためのカスガイ(青銅は弱いので主に儀礼的な意味が主体とされている)やピンなども出土している。 村の教会は、このティワナク遺跡の石をはがして、作ったとされており、ようく見ると、確かに遺跡と同じ砂岩の方形の石材が多く、中には明らかに遺跡と同加工痕を持つ石材もある。教会の表や裏の建物の上方には、石の顔が飛び出している所があり、半地下式神殿を思い起こさせる。遺跡からの現物を利用したのか、遺跡を真似ただけなのかは、不明である。 いずれにせよ、村にはあちこちに、スペイン人による征服以降に遺跡から持ち運びだされたと思われる石材が見られ、村の広場の真ん中にあるベンチの石材も遺跡から運び出されたものである。
■ ティワナク遺跡について詳しく知りたい方は、ウィキぺディア(Wikipedia)で、ティワナクを検索すると豊富な情報が掲載されています。 ■ アンデス考古学を研究されている中嶋直樹氏に執筆頂きました。中嶋氏のHPはこちら。 |
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