ボリビア日系協会連合会(FENABOJA)
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トリニダ日系人協会

Asociacion de Descendiente Boliviano Japones de Trinidad


◆現在の組織・活動内容◆

会長は、クリスティーナ・たわらすみた(写真:左)です。
La Presidenta es Cristina Tawarazumita.

2世、3世が協会の中心で、週一回集会を開いています。
La majoria de los miembros son las segunda generaciones y las tercera generaciones.
Se hace reunion cada semana.

協会では、日本人ボランティアによる日本語教室を開講しています。

■日本語教室 / La clase de idioma japonesa

月〜金 @2:00〜3:30 A3:30〜5:00 B6:00〜7:30 C7:30〜9:00
土 @2:00〜3:30 A5:00〜6:00(子供クラス1) B6:00〜7:00(子供クラス2)

週2回、1回1時間半。学習者は日系・非日系を問わず13歳以上です。(子供クラスは4・5歳〜14歳まで)
現在、学習者は、17名います。(子供クラスは20名以上)
2veces a la semana, cada clase una hora y media. No importa sea NIKKEI o no. Mas de 13 anos.(La clase de los ninos; 4,5anos-14anos) Ahora vienen 17alumnos.(a la clase de los ninos, mas de 20 alumunos)

子供クラスでは、日本の年中行事を紹介しています。
En la clase de los ninos, se presente los actos anuales de Japon.

料理教室を月1、土曜に実施しています。
La clase de comida japonesa: Una vez del domingo a cada mes

 

2005年度 行事紹介・予定
2月 節分
3月 ひな祭り
5月 こどもの日,母の日
6月 父の日
7月 七夕
9月 第2回トリニダ日本祭り
10月 ハロウィン
12月 クリスマス
1月 お正月
2004年度 行事・活動紹介
2月 節分パーティー
3月 ひな祭り
5月 日本祭り en Trinida
7月 七夕パーティー
8月 第一回料理教室
9月 月見パーティー
10月 文化発表会
11月 運動会
12月 クリスマスパーティ
1月 お正月

(2005年10月現在)

◆移住の歴史、日系人会設立経緯・概要◆

トリニダ市の日系人
(「日本人ボリビア移住史」より一部抜粋)

トリニダ市はアマゾン河の支流マデイラ川の支流となるマモレ川の川筋にある、ベニ県の県都である。
日ボ親善と同胞の親善と発展を期して、1917年頃に日本人会が結成され、1935年頃の全盛期には70人の日本人居留者を数えた。戦前の移住者が、老衰などにより死亡してからは、1978年に二世会が結成されたが、数年後の超インフレの影響もあり活動は停止していた。1998年、日系人会が再組織され活動を模索している。現在は、JICA派遣の日系社会青年ボランティアによる日本語普及活動が実施されており、青年海外協力隊やシニア・ボランティアなどの協力を得て、地域内での日ボ文化の交流や日ボ親善の試みが行われている。

県都「トリニダ」の日系社会
(日本人移住100周年誌「ボリビアに生きる」参照)

トリニダは1686年に、この地域にやってきたスペインの宣教師たちによって創設されたことがはじまりである。その後、トリニダは布教活動の拠点の一つとして存続し、1842年にベニ県の県都に昇格した。ゴム景気が盛んになる19世紀末までは小さな町であったが、ゴム景気の時代にはベニ県とサンタクルス県およびコチャバンバ県をつなぐ物資輸送の中継地点として栄えた。1999年現在、約78,000の人口を抱えるベニ県最大の都市である。

日本人がリベラルタ方面からマモレ川を遡ってトリニダまでやって来たのは、1910年頃といわれている。その後、ゴム景気の衰退にともなって、新天地を求めようとこの地にやって来る日本人が増えていった。日本人会が設立されたのもこの頃であるといわれている。当時のトリニダ日本人会はリベラルタ日本人協会と同じく、日本人同士の親睦と相互扶助を目的として活動していた。日本人の多くは基本的には質素な生活を送り、勤勉で善良な市民として生きた。それに外国に住む日本人としてボリビア社会に溶け込む努力も惜しまなかった。ボリビアの祭典には日本人会として多額の寄付をトリニダ市に申し出て盛大に祝ったし、1932年頃には、言語習得のためにボリビア人講師を迎えてスペイン語夜間学校を開いた。そのような生活の中でも、彼らは祖国への想いを捨て去らなかった。関東大震災、満州事変、日中戦争など祖国日本が直面したさまざまな困難に際して、その質素な生活の中から義援金を出し合い、愛国心を示したのである。

しかし全ての日本人がそうではなかった。中にはボリビアに住む日本人に何の救いの手も差し伸べない日本に愛想をつかしていた者もいた。1925年という年はボリビアが独立100周年を迎えた年であった。同時に祖国日本で昭和天皇の即位式が行われた年でもあった。日本人会では、日本人会としてボリビア独立100周年に参加すべきであるというグループと、天皇即位式を盛大に祝うべきであるというグループの対立が起こった。100周年祭を支持した大部分は商人であり、即位式を支持したグループには農業者が大半を占めた。尚、二つに分裂した日本人会は、話し合いによる決着をつけることができなかったが、後にそれぞれのグループの中心人物が死亡したことやトリニダから出ていったことで自然に一つにまとまった。

記録がほとんど残っていないため、第二次世界大戦中に日本人がボリビア官憲からどのような制約を受けたのか、日本人会は存続していたのかなど正確なことはわからない。数名が米国のブラックリストに載せられていたが、実際に米国への強制送還された者は1人もいなかった。しかし、4、5軒の日本人商店は資産を凍結されたようである。1942年、43年頃に日本人会の活動が中止されたようである。
戦後は1世が次々と亡くなっていき、2世の時代へと過渡期を迎えた。60年代半ば頃からトリニダの景気が悪くなり、商売、農業をしていた日本人たちはサンタクルス、コチャバンバ、ラパスに移っていった。

現在トリニダには2世が中心となって組織された「トリニダ日系人会」(1972年結成)がある。しかし、現実にはほとんどの会員が会の活動に無関心で、主だった活動は行われていない。月々10bolivianosの会費ですら満足に徴収できない状態である。ただ日系人同士の団結を目標として日系人会が名目的に存在していると言ったほうが正確である。

ラテンアメリカ全土に起こった出稼ぎブームの波では、1991年から98年までに約50名のトリニダの日系人が出稼ぎ斡旋業者を通じて日本へ渡った。現在そのうちの20名が帰国し、新しい生活を始めている。出稼ぎによって建てられた家がすでに15軒あり、10名の日系人が新しく事業を起こしている。しかし、出稼ぎで成功した例がある一方で、実際に家族に仕送りをした出稼ぎ者は少ないといわれている。また出稼ぎブームによって日系人会会員の結束力が逆に弱まり、会の活動が停滞したという。出稼ぎ前は会の中に助け合いの気運があったが、大金を手にすると会に興味を示さなくなった者が増えたという指摘もある。

日系人会では、今後も会員が一丸となってさまざまな活動に取り組むことを目標としている。その中でも目下の課題は、日系人会の正式な事務所を手に入れることである。現在はある会員の自宅の一室を借りて、そこを仮事務所としている。さらに、トリニダの経済的に恵まれていない住民の生活を向上させるための種々の計画も立てられている。そして会員たちは、トリニダにかつて日本人がいたという歴史を後世に伝え、同時に日本文化も普及させ、次の100年に向けて努力していきたいと語った。

 


トリニダ日系人協会

Asociación de Descendientes Boliviano-Japoneses
住所:Calle Mamoré
郵便:Casilla No.85, Trinidad, Beni, Bolivia
Tel: 012-346-21362
Fax: 012-346-22601

ボリビア日系協会連合会 / Federación Nacional de Asociaciones Boliviano-Japonesas
Tel:(591-3)333-1452,Fax:(591-3)333-1452,住所:Calle J. Coimbra 57,郵便:Casilla 2006, Santa Cruz-Bolivia,E-mail: fenaboja@cotas.com.bo
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