
(1)建設の経緯
「オキナワ移住地」の建設を最初に計画したのは、ボリビア共和国北部のベニ県リベラルタ市に在住していた沖縄県出身の戦前移住者であった。1948年11月、彼らは第二次世界大戦で廃墟と化した沖縄を救援する目的で「沖縄戦災救援会」を結成した。具志寛長氏を会長とする「救援会」は、金品による故郷の救援にとどまらず、民族永遠の発展のため、ボリビア国にオキナワ村を建設し、故郷から移住者を迎え入れようと考えた。
1950年には、サンタクルス県に調査隊を派遣し移住地の選定に着手した。この時選定されたのが「うるま耕地(2500ha)」である。1950年7月には、久場良明氏と島袋庄七郎氏の2名を先駆的開拓者として、リベラルタから「うるま」に入植させた。1950年9月に移住組合である「うるま農産業組合」を結成・法定化した。また、1953年4月10日に「移住地開拓移民計画」認可取得、「1万haの土地払い下げ申請」「移住者入国許可申請」などの活動が行われた。
一方、アメリカ軍統治下にあった沖縄でも海外移住政策が検討されていた。1951〜1952年にスタンフォード大学教授のティグナー博士に南米全域の沖縄出身者の調査を委託。その調査報告書を受けて、1953年11月に「移民金庫法」を公布。琉球政府は、1953年12月〜1954年4月まで2名の調査員をボリビアに派遣し、1954年3月に移住者の公募を行った。その結果、400名の計画に対して約4000名の応募があった。この400名が6月と7月に分かれて、それぞれ那覇港を出発する事になった。
1954年8月15日に第1次計画移民275名が、その1ヶ月後には第2次計画移民125名が「うるま耕地」に入植した。しかし、まもなく熱病が発生して15名もの死亡者がでたため、翌年8月に「パロメティア」へ移転した。だが、ここでも土地の獲得が困難であり、1956年7月に現在の「オキナワ第1移住地」に再移転した。
ようやく定住の地を見いだすと、沖縄から次々と後続の移住者が到着するようになり、1957年9月に第2移住地を建設、1963年には第3移住地が建設された。こうして「琉球政府計画移民」は、1954年の第1次から1965年の第19次まで続き、合計584家族、3385名が移住した。
その一方で度重なる洪水や干ばつなどの天災により、移住地での農業に見切りをつけて、サンタクルス市やブラジル、アルゼンチンに転住する者が続出した。1980年代には日本への出稼ぎブームがはじまり、移住地の人口はさらに減少した。しかし、1990年代に大型機械化による大規模農業が定着して経済が飛躍的に成長すると、著しい人口の移動は見られなくなった。
現在では、ボリビアの模範的な農村として称えられ、約230世帯(870名)の日系社会が維持されている。また、ボリビア国内各地から仕事を求めて、オキナワ移住地に移り住むボリビア人の数は1万2千人と報告されている。こうした状況から、ボリビア政府は1998年にオキナワ移住地を「行政区」として制定し、第1移住地内にオキナワ村役場を設置した。
(2)地 理
1. 南米の中央に位置するボリビア
ボリビアは南米の中央にあり、周囲を5カ国(ペルー、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、チリ)に囲まれた海に出口を持たない内陸国である。南緯09°38′〜22°53′、西経57°26′〜69°38′に位置し、総面積は1,098,581平方km2(1億985万8,100ヘクタール)あり、日本の約2.9倍の国土面積を有し、南米大陸ではブラジル、アルゼンチン、ペルー、コロンビアに次ぐ第5位の面積である。
人口は814万人(1999年)人口密度は7人/km2(1997年)、国民一人当たりのGDPはUS$996(1997年)である。
2. ボリビアと日本の位置関係
ボリビアは南半球にあり、その首都ラパスは南緯16°29′、西経68°10′となっている。
他方、北半球にある日本の首都東京は、北緯35°40′、東経139°46′に位置しており、両国間の時差はボリビアが−13時間である。
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| 図 ― 世界地図で見るボリビアと日本の位置関係図 |
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3. ボリビアの地理とオキナワ移住地
ボリビアの国土は、アンデス山系に含まれる西部山岳地帯とアマゾン川及びラプラタ川上流の東部平原地帯によって構成される。
この東部平原地帯が国土面積の半分以上を占める。地形は、西部にアンデス山脈が南北に走り、標高3,000m以上の山岳高原地帯(Altiplano)と、2,000m前後の渓谷地帯(Valles)、600m以下の東部低地平原地帯(Llanos)の3地域に大別できる。この3地帯の面積割合は高原、渓谷、及び平原地帯で各々23.2%、14.6%、62.2%となっている。
また、行政区分は、チュキサカ(Chuquisaca)、ラパス(La Paz)、コチャバンバ(Cochabamba)、オルロ(Oruro)、ポトシ(Potosi)、タリハ(Tarija)、サンタクルス(Santa Cruz)、ベニ(Beni)及びパンド(Pando)の9県である。
平原地域は ボリビア国土の6割を占めるが、人口は3割弱であり人口密度は低い。国土全体の4割を占めるアンデス山岳地帯および高原台地(高原地帯)と渓谷地域に、7割の人口が居住している。近年、主要都市を結ぶ幹線道路の整備は進んだが、急峻で険しい渓谷地帯と広大な東方の熱帯低地では未だ交通は難を極めるところも多く、ボリビア全体をみれば集住と散在との隔たりは大きい。
ボリビアは「高原地帯」及び「渓谷地帯」に錫、亜鉛、銀、アンチモン、タングステン等の鉱物資源が、平原地帯には石油・天然ガス及び農牧畜資源が豊富で、天然資源に富んだ国である。しかし、内陸国であるうえ、国土に急峻な山岳地帯を多く抱える地理的条件に加え、コミュニティ単位の伝統的社会が今なお根強いため、ともすれば国民国家としての統一意識に問題をかかえること、独立以来約190回にも及ぶ政変の頻発による恒常的な政情不安があったこと、そして、1980年代前半の軍事政権時におけるアメリカの経済制裁とその後を受けた民政左派政権の経済運営の失敗によるハイパーインフレを伴う経済の大混乱等各種の要因が重なって、経済的な面では今なお南米中で最も後進的な位置にある。
4. サンタクルス北西部とオキナワ移住地
オキナワ移住地は ボリビアの東部に位置するサンタクルス州(日本と
ほぼ同面積)の州都サンタクルスから北東92km(道路距離)に第1移住地、同62kmに第2移住地、同40kmに第3移住地がある。オキナワ移住地は最大幅南北約60km、東西約30kmに広がっているが、地理的に中央になる第2移住地は南緯17°23′、西経62°54′、標高280mである。第3移住地から第1移住地に向けて北東〜北北東の方向に下がっており、第3移住地南端が標高約320m、第1移住地北端で約240m、高低差約80mある。なお、オキナワ移住地の総面積は46,890haである。
(3)自 然
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| 図 ― サンタクルス市・オキナワ移住地・サンファン移住地の位置関係図 |
1. 気 象
雨季と乾季の区別が明瞭なサバンナ気候である。雨季は10月〜4月、乾季は5月〜9月であり、年平均気温は24.0℃、過去の最高月平均気温は33.9℃、最低月平均気温は11.6℃である。雨季は高温多湿、乾季は比較的気温が低く乾燥しているが、霜が降りることはほとんどない。年降雨量は676〜1,893mmと年による変動が大きい。年間平均にすると1,112mm(過去10年間)程度であるが、降雨の時期は10月〜4月に集中する。乾季でも集中豪雨が発生することがある。
年間平均降水量 1,112 mm(1992〜2002年)
年間最高降水量 1,893 mm(年)
月間最高降水量 394 mm(1992年2月)
連続最高降水量 374 mm(1992年1月11日~1月15日)
日最高降水量 194 mm(1992年1月15日)
年間最低降水量 676 mm(2002年)
月間最低降水量 0 mm(92年7月、94年8月、95年8月)
最長無降水 53 日 (1994年7月23日〜1994年9月13日)
2. 地形・土壌
オキナワ移住地は、南西から北東に向かってなだらかに下がる地形をしている。平均斜度は0.1〜0.3であり、目視によって地形面の変化を捉えることは困難である。また、第2移住地南東から第1移住地北西に向かってパイロン川(小河川)が流れており、本河川が流れている地点は過去(数百年〜数千年前)に段丘面であったと推察され、これまで移住者はパイロン川の南側と北側で土壌の性質が一変することを経験的に理解していた。
土壌は、4つのグループに大別される。第1グループは、比較的に土壌生成作用を受けていない土壌である。おもに第1移住地の国道をはさむ地帯で、パイロン川の北側に分布している。主な特性は、土性が砂〜シルト質の沖積土に分類される。沖積土とは、主として川の氾濫原、扇状地、デルタに存在し、表層25cm以内に水生堆積物を含む年代の新しい土壌である。第1移住地の国道北3号線付近では、地表面に白色の塩類クラストが見られる。これは、主に地下水によって供給されるものと考えられる。
第2のグループは、国道北側の北3号線付近に見られ、粘土の移動集積が認められた。このグループは、パイロン川北側に分布し、主な特性は土性が粘土質である。この土壌は明瞭な乾季がある地域の平坦な低地や氾濫原で短い雨季に水飽和状態となり、乾季に完全に乾燥するところで生成される。
第3グループは、おもにパイロン川南側の第2移住地に分布し、下層土の土色が赤褐色を呈し、土性は粗砂質である。このグループの主な特性は、土性が砂〜シルト質であり、ラテライト〜赤黄色ラテライト性土に分類され、非常に古い土壌である。これらの土壌は、長い年月をかけて徐々に風化・溶脱を受けているので、一般に植物養分の乏しい土壌とされている。
第4グループは、主として第3移住地に分布し、表層土から粘土含量が多く、また、第3グループと異なり、赤褐色〜暗赤色を帯びた層位にも粘土の移動集積が認められる。本グループは第3グループが分布していた地域よりもさらに南側に分布しており、土壌の主な特性は粘土質である。本土壌は赤黄色ポドソル性土に分類される。
3. 地下資源
第3移住地を中心とする地域に、天然ガスの埋蔵があり、試掘されて石油を確認している。最近(2003年)ガス・石油公社が、第3移住地で試掘をしたが、期待される埋蔵量が無く、活用されていない。
4. 植生・植物相
オキナワ移住地から西南西に90km弱のブエナビスタまでが亜熱帯森林気候区に属し、パンパないしサバンナと森林に覆われている。この地域の植生は、中程度から高い樹木に覆われており、十分に樹木生産の可能な地域である。約50%の樹種は落葉樹に属し、着生植物はほとんど見られない。この地域の農作物は、トウモロコシ、米、小麦、フレフォール豆とある種の野菜、サトウキビが植えられている。
オキナワ移住地は人間の手による開発の進んだ地域であり、農地、市街地の拡張が進んでいる。そのため森林は徐々に移住地周辺からなくなりつつある。オキナワの植生は亜熱帯湿潤の原始林からサバンナと小潅木の茂みに変わりつつある。また、この地域のサバンナの植生は、イネ科の牧草と以下の樹木が特徴的に観察される。
@主要牧草:Cola de ciervo,Pasto bruto,Pata de gallo, Tapepe
A森林地帯の樹木:Tajibo,Almendrillo,Palo Maria,Jorori,Totai,Ambaibo,Motacu
Bその他の樹木:Amargo,Blanquillo,Ochoo,Bibosi,Cusi,Palo Santo,Taruma
ここ数十年の間に原始林は棉花とサトウキビ、あるいは2次林になり、牧草地、小潅木林に取って代わりつつある。2次林として成長する樹種も限られており、直径10〜20cm、樹高5〜10mに成長するのがせいぜいである。
第1移住地では、北部は樹高20〜30mのアホ−、サパイモ−シ、ブランキリョ、モタク−、オチョオ、南部はクーチ、クルパウなどの闊葉樹に大別される。浸水地帯の再生林では、二次的にサウセ等が密生している。
第2移住地では、一般的にブランキリョ、サパイモ−シ、コモモシ、パーロサント、カリカリが多く、樹高20〜25mであるが、低湿地帯では矮小化しており、樹高10〜15mと低い。草はクラパター(野生パイナップル)、ウンギ−リョ(ガマの木)等が多い。一般的には、森林地に多肉植物、再生林にイネ科、ナス科植物が多く食生している。
第3移住地では、クルパウ、タヒーボ・モラ−ウ、ク−タ、クセ−、イチトリキ、ワヤカン、ブランキリョが多く、樹高20〜30mである。低湿地または湿地には草性ガラパター、アロシ−リョ等が目立つ。なお、原生林は開発により全体の10%で、大樹は少なくなってきている。)
5. 動 物
入植当時、移住地の原生林には森林の恵みを求めて多種多様な動物が生息していた。野生動物の最大のものはバクがいるが、ティグレ、カピバラ(川豚)、鹿、イノシシの中動物、ホッチ・ピンタウ、ホッチ・コロラド、タトゥ、タピチ、ガラチュ−パ等の小動物。さらにサル、キツネ、タヌキがいる。爬虫類ではトカゲ、ペニ−、蛇、亀等がいる。蛇では有毒のガラガラヘビ(カスカベル)、水蛇がいる。魚類では、めっきり減ったがドラド、パク、スルビ、ウナギ、サルディーナ、ドラディ−ジョが釣れる。
これらは、以下のように分類される。なお、入植以来の原始林の抜開と狩猟によって、徐々に動物の種類と数が減少してきている。
哺乳類: Perezoso(ナマケモノ), Chancho Tropero, Jochi Colorado, Jochi Pintao, Mono Manechi, Pejichi, Perico, Tatu(アルマジロ), Tapiti, Taitetu, Tejon(タヌキ), Zorro(キツネ), Zorrino
爬虫類:Lagartija(やもり), Peni, Rana(かえる), Borequi, Culebra(蛇)
鳥 類:Perdiz Chepi, Perdiz Chica, Sucha, Chuvi, Torcaza, Cuello Amarillo, Cotorrita, Lorito, Lechuza, Picaflor, Tucanillo, Carpintero(きつつき), Tiluchi, Sayubu, Canario(カナリア), Gorrion, Matico
(4)農 業
オキナワ移住地は、戸数238戸、主に農業生産を行っている農協組合員数は132戸に過ぎない。この少ない農業者が ボリビアの大豆生産の6.2%(約3.8万トン)、小麦5.4%(約6.5千トン)を生産している(注:2000年度実績)。これは、大型機械化による生産力の向上によるところが大きい。
さて、営農形態は、入植当時は表作に陸稲、裏作にトウモロコシが生産されていた。しかし、1968年前後から恒常的な干ばつに見舞われたことから、1970年干ばつに強いとされる棉作が主流となった。その棉作も最初の2〜3年は順調であったが、その後皮肉にも雨量が増え衰退する。移住者は膨大な借金を抱えることとなるが、機械化農業が展開されていたことから、大豆・トウモロコシ・キビ・ヒマワリ・小麦及び牧畜、養豚等に転換した。また、付加価値を付けるため、農牧総合協同組合が、飼料生産工場、製油工場、種子選別工場を設置した。また、流通面にも手を広げ、近代的な農業経営を行うようになった。しかし、近年の大豆価格の暴落や2003年からのMERCOSUR加盟(本格加盟は2005年)に向けて今後の課題も残っている。農家の土地所有面積は、平均約400haとなっている。
オキナワ移住地営農形態一覧表
(2001/2002年度調査)
| 作 目 |
面 積(ha) |
| 大豆(冬作) |
7,829 |
| 大豆(夏作) |
24,884 |
| 陸稲 |
641 |
| 水稲 |
600 |
| トウモロコシ |
2,033 |
| ソルゴ |
2,513 |
| 小麦 |
8,948 |
| ヒマワリ |
2,465 |
| サトウキビ |
423 |
| 牛 |
8,785頭 |
| 豚 |
5,850頭 |
| 鶏 |
22,000羽 |
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| 注:オキナワ農牧総合協同組合調べ |
1.最近の移住地農業情勢
日系移住地の2002年度・農家経済調査についてみると、移住地の農家経済余剰(純収益)は1996年をピークに、営農費の増大と生産物単価の下落により減少し続けている。小麦が豊作、大豆が平年作であったことに加えて、北アメリカでの大豆・小麦の不作の影響で、これらの価格が上がったことにより、純収益が2001年の2倍以上(2.9万ドル)になり高収益を上げている。肉用牛については乾季が長引いたことにより、牧草が不足し、肉牛の販売量の減少と牛肉の安値から肉牛の収益が低下している。
大規模農業は、気候の変動や農産物の国際価格に収益を大きく左右される不安定な要素があるが、今後 ボリビアは
@2005年にMERCOSURに本格加盟し、農産物の貿易自由化(関税の削減・撤廃)を行うようになり、ブラジルやアルゼンチンのような農業大国と価格競争を繰り広げなければならない。
A農薬・機械・種子等の主要な農業資材を近隣の工業国から輸入しなければならず、これらの経費が割高である。
B大豆・ヒマワリ等の工業原料を隣国や海外に輸出するにしても、輸送費にコストがかかる、という地勢的、経済的な環境にある。これらの状況を克服するためには、単位収量を上げ、コストを下げて競争力をつけ、農業の複合化により経営の安定化を図ることが不可欠である。


(1) 組織体制
1.沿 革
オキナワ日本ボリビア協会(略称:オキナワ日ボ協会)は、1978年11月30日に「コロニア沖縄農牧総合協同組合(略称:CAICO)」の行政部から独立して設立された。
1981年2月5日には、ボリビア政府の最高決議令第193909号として法定認可された。また、1995年に法人団体の認可権が、政府から各県へ移行に伴い、1999年8月9日にサンタクルス県にて再認可(決議429/99番)を受けた。
その後、ボリビア政府に認可された社団法人として、コロニア・オキナワの行政機能の多くを担っている。
2.組 織
オキナワ日ボ協会の組織は、最高決議機関である「総会」、総会に次ぐ決議機関である「評議員会」、会計監査機関である「監事会」、評議員と監事との合同会議である「役員会」からなる。また、オキナワ日ボ協会の業務執行機関として、評議員会の下に5つの部(総務部・土木部・社会教育部・診療部・学校教育部)が存在する。
3.各組織の概要
@ 総 会
総会は、最高決議機関であり、会長が全会員を招集して、年1回以上開催する。
通常総会は、2月に開催されており、業務報告・決算報告・事業計画・予算・役員の選出等を行う。会長(1名)・副会長(1名)は、総会の選挙で決定され任期は2年である。
A 監事会
監事会は、会計監査機関であり、幹事長が監事全員を招集して、年2回以上開催する。財政状態・決算書の監査承認を行う。監事(3名)は、総会の選挙で決定され任期は2年である。幹事長は互選により決定される。
B 役員会
役員会は、評議員と監事による合同会議であり、会長の判断により評議員会を役員会に代えて重要案件を審議する。
C 評議員会
評議員会は、総会に次ぐ決議機関であり、会長が評議員全員を招集して月1回開催する。議事は、各地区や各部の要望や問題点を審議し決定する。評議員(6名)は、各区より選出された代表であり、任期は2年である。
D 総務部
総務部は、総務と経理からなり、日ボの業務を円滑にし会員へのサービスを充実させる為の重要な機関である。各地区・各部の情報を常に把握し、評議員会などの運営事務を行う。また、土木部の燃料等の管理業務も行っている。
総務部長・次長は、専属職員で経理・総務の4名の職員からなる。
E 土木部
土木部は、地域の交通を考え計画的に道路の維持管理を行っている。また、機材や燃料の維持管理にも努めている。
土木部長は、評議員が兼務し3名の職員からなる。
F 社会教育部
社会教育部は、地域社会の文化的向上と住民の健康増進をはかり、地域を活性化させ誰もが住みやすい故郷の創造を行っている。
社会教育部長は、評議員が兼務し、副部長は連合婦人会長・連合青年会長が行っている。組織の構成は、第1〜第3までの婦人会・青年会、第1と第2の「でいごの会」、第3の「ゆんたく会」、沖縄派遣教師から成っている。
G 診療部
診療部は、医療・保健の充実を図り、健康で安心して暮らせる地域社会を築くために、病院の医療サービスと保健福祉活動を行っている。
診療部長は、評議員が兼務し、院長・医師・看護士・検査技師・薬剤・介護福祉士等、25名の職員からなる。
H 学校教育部
学校教育部は、未来を見通した学校教育について広く討議し、諸問題の解決を図り、より良い教育環境をつくるための活動を行っている。
学校教育部長は、評議員が兼務し、オキナワ第1日ボ校の校長・運営委員長・父母会長、ヌエバ・エスペランサ小中学校の校長・運営委員長・父母会長、沖縄派遣教師、JICAシニアから成っている。
・ オキナワ第1日ボ学校
教員数21人(日語部7人・西語部14人)
生徒数78人
・ ヌエバ エスペランサ小中学校
教員数22人(日語校8人・西語校14人)
生徒数138人(日語校56人・西語校82人)
4.会員の現状
| 2002年9月現在 |
| 地 域 |
所有農地(ha) |
戸数(戸) |
男(人) |
女(人) |
合計(人) |
| 第1 |
18,025 |
138 |
247 |
255 |
502 |
| 第2 |
12,005 |
66 |
102 |
120 |
222 |
| 第3 |
6,910 |
30 |
69 |
74 |
143 |
| 地区外 |
6,995 |
- |
- |
- |
- |
| 合 計 |
43,935 |
234 |
418 |
449 |
867 |
|
目的および基本方針
1.目 的
@ コロニア・オキナワに居住する日本人・日系人相互の融和を図り、その文化的な生活向上及びボリビア文化への同化の為の交流に努める。
A コロニア・オキナワに在住する日本人とボリビア人との相互の親睦と社会的友好関係の増進に努める。
B 会員及びその家族の文化・教育・道徳・体育の向上に努め、コロニア・オキナワの発展と社会的地位の高揚に努める。
C 会員並びにその子弟の教育の向上を図るため、国内外における留学等の斡旋及び支援を行う。教育の質的向上を目指し、奨学金制度・研修制度及びその他の教育制度を設ける。
D その他
2.基本方針(案)
@ オキナワ日ボ協会は、会員の意見を大切にして、民主的な組織運営を行う。
a. オキナワ日ボ協会の組織体制・運営方法を別紙の通り明確にする。
b. 評議員会・役員会で決定された事は、すみやかに会員へ伝える。
c. 地域懇談会を3ヶ月に1回程度開催して、会員の意見を直接聞く。
A コロニア・オキナワ入植50周年記念祭典をみんなの力で成功させる。
d. みんなの意見を聞き、一人一人の協力で成功させる。
e. 実行委員会を定期的に開催して、計画的に事業を進める。
B コロニア・オキナワ開拓の歴史を学び、一世の方々のご苦労に心から感謝する。
a. 開拓の歴史について、講演会を開催する。
b. 歴史資料館を完成させて、開拓の歴史を記録・保存する。
c. 慰霊塔を完成させて、開拓の歴史の中で亡くなった人々を追悼する。
d. 入植50周年記念誌を完成させて、開拓の歴史を記録し広く国内外へ知らせる。
C 一世から二世・三世へ、コロニア・オキナワの建設を引き継ぎ、地域の発展と安定化を実現する。
a. 二世・三世を日ボや地域の重要な役員に任命して、有能な後継者を皆で育てる。
b. 二世・三世は、コロニア・オキナワの事業に積極的に参加して、地域の発展と
安定化に向けて努力する。
E 子供たちの将来を考え、未来を見通して学校教育を充実させ、より良い教育環境を実現する。
a. 教育懇談会等を開催して、教育の重要性を認識する。
b. 学校教育問題は「学校・教師」・「家庭・親」・「地域」が一体となって改善する。
c. 将来の学校教育を充実させるために、総合的な検討会を発足させる。
F コロニア・オキナワの文化的向上と住民の健康増進をはかり、地域を活性化させ、誰もが住みやすい安全な故郷を創造する。
a. 文化講演会を開催して、視野を広げ教養を高める。
b. 日本の新しい文化や情報を得るためにNHKテレビ放送事業を維持管理する。
c. 料理・手芸・踊り・生花・音楽などの趣味を増やし生きがいをつくる。
d. 各種スポーツ施設を充実させ、健康な身体・健全な心をつくる。
e. ゴミを捨てない・地域清掃活動を通して、ゴミの無い美しい街をつくる。
f. ゴミ処理場の建設をオキナワ村に要請して、実現に向けて努力する。
g. 自警団・警察を強化して、治安の向上をはかる。
G 診療所の医療・保健の充実を図り、健康で安心して暮らせる地域社会を築く。
a. 高齢者の地域医療を考え、訪問検診・訪問看護について検討する。
b. 介護の勉強会や介助技術研修会を開催して、介護ボランティアを育てる。
H 交通の利便性を考え、幹線道路のアスファルト化を推進すると共に、計画的に道路を維持管理する。
a. アスファルト道路実現に向けて、ボリビア政府・日本政府を始め関連機関への積極的な外交活動を展開する。
b. 機材・資材・燃料等の管理を厳重に行い、移住地内の道路を計画的に維持管理する。
(2) 事業の概要
・ 国内外の各種団体との渉外活動
・ コロニア内の約280Kmに及ぶ砂利・舗装道路の維持管理
・ 診療所の運営
・ 健康保険組合事業とその運営
・ オキナワ第1日ボ学校の運営
・ ヌエバ・エスペランサ幼小中学校の運営
・ 競泳用プールの運営
・ NHKテレビ放送事業
・ 治安維持活動
・ 会員の各種届出(出生届・婚姻届・死亡届等)代行業務
・ 郵便物の取り扱い業務
・ 図書貸出など会員への便宜供与
・ 老人会活動への協力
・ 成人式、運動会、駅伝大会、ソフトボール大会等の社会教育活動

(1) 行政
ボリビア共和国サンタクルス県ワルネス郡オキナワ村
2001年国勢調査によると、2,564世帯、人口11,643人(男6,147人・女5,496人)からなる。
(2) 学校
サンフランシスコ・ハビエル幼小中高校 教員数: 生徒数:約1500人
メトジスタ幼小中高校 教員数: 生徒数:約1200人
ラ・グロリア幼稚園 園児19人
(3) 病院
公立の診療所(Micro Hospital)が第一移住地にある。
(4) 電気
地方電力組合(CRE)が電気を供給している。第一移住地にあるCREは、タヒーボ〜第一地域〜リオグランデと第二地域の約1600世帯に電気を供給している。第三地域は、ワルネスのCREから送電されている。
電力の発電は、サンタクルスのワラカチにある火力発電所で行われ、送電されているが、電力が足りない場合はコチャバンバの水力発電所からも供給されている。
(5) 水道
(6) 電話
COTAS(サンタクルス電話電信組合):
ENTEL(長距離通信組合):
(7) 市場
第一移住地にある市場は、月曜〜日曜日まで毎日8時から開かれている。特に、火曜日はフェリアとなっておりにぎやかである。

| 1948年11月 |
ベニ県リベラルタ在住の沖縄県出身者が「沖縄戦災救援会」を結成、沖縄県人のボリビア移住が計画された |
| 1951年 |
琉球政府が南米6カ国を調査 |
| 1954年6月 |
第1次移民275名が那覇港を出港 |
| 8月15日 |
「うるま植民地」に入植 |
| 9月初旬 |
幼稚園が開設 |
| 9月14日 |
第2次移民125名 到着 |
| 9月 |
青年部が組織され、テニスやバレーボールを楽しむ |
| 10月30日 |
「うるま病」最初の犠牲者出る。その後15名死亡。 |
| 12月 |
幼稚園中止、各家庭で自主学習 |
| 1955年2月 |
リオグランデ氾濫 大浸水 |
| 8月 |
「パロメティーリャ移住地」へ移動 |
| 8月30日 |
幼稚園と小学校 開校 |
| 9月 9日 |
コロニア沖縄農業協同組合 発足 |
10月25日 |
父兄会 発足
|
| 1956年2月15日 |
第3次移民 到着 |
8月 |
日本・ボリビア移住協定 締結 |
10月 |
地元の大地主との間で土地問題が発生 |
|
現在の「オキナワ第1移住地」へ移動 |
| 1957年1月 |
三地域組合の設立と統合した連合会制度 発足 |
|
各地域組合ごとに3つの小学校を開設 |
12月 |
メトジスタ協会で日本語塾 開校 |
| 1958年3月 |
3校を統合し、組合立小学校 開設 |
| 1959年3月 |
オキナワ第2移住地 設立(5次〜13次) |
12月 |
カトリック教会 落成(最初の煉瓦建て瓦葺き建造物) |
|
組合校を吸収し、サンフランシスコ・ザビエル校 設立 |
| 1960年7月 |
第2移住地 一号線校(第1学校)開校 |
| 1961年7月 |
第2移住地 ラスペーター校(第2学校)開校 |
| 1962年1月 |
第2移住地 パイロン校(第3学校)開校 |
| 2月 |
第2移住地 リオグランデ校(第4学校)開校 |
| 9月 |
オキナワ第3移住地 設立(13次〜19次) |
| 9月15日 |
第3移住地 モンテ・クリスト校 開校 |
|
一号線校とラスペーター校を統合し、ヌエバ・エスペランサ校本部校 開校 |
| 1963年2月 |
パイロン校とリオグランデ校を統合し、N・エスペランサ校パイロン分校開校 |
| 1964年9月 |
入植10周年記念祭典 |
| 1967年7月1日 |
日本政府に移管されJICAの管轄下におかれる |
| 1968年2月 |
第1移住地 大水害に見舞われる(リオグランデ氾濫) |
| 1969年3月 |
移住地の貫通道路 完成 |
| 5月 |
各移住地・サンタクルス市との無線 開通 |
| 1971年8月 |
CAICO法的認可を受ける(第1〜第3組合 合併) |
| 1975年5月5日 |
第3移住地のモンテ・クリスト校が第2移住地のヌエバ・エスペランサ小中学校と統合 |
| 1978年11月 |
オキナワ日本ボリビア協会 設立 |
| 1980年3月 |
ボリビア日本語教育研究会 設立 |
| 1984年8月 |
入植30周年記念式典 |
| 11月 |
教育を考える会 私立校設立準備委員会 発足 |
| 1986年 |
第1回沖縄派遣教師ヌエバ・エスペランサ小中学校に赴任 |
| 1987年3月 |
オキナワ第1日ボ学校 開校 |
| 1991年6月 |
電話工事完成 開通式 |
| 8月 |
CAICO20周年記念式典 |
| 1992年1月 |
パイロン河氾濫 大水害 被害総額100万ドル以上 |
| 1993年2月 |
異常降雨 被害甚大 |
| 7月 |
最初のオキナワ駅伝大会 開催 |
| 1994年8月 |
入植40周年記念式典 |
| 1996年9月 |
CAICO創立25周年記念式典 |
| 11月 |
オキナワ第1日ボ学校 創立10周年記念式典 |
| 1999年1月 |
TV-OKINAWA開局 NHK国際放送が見られるようになる |
| 6月 |
紀宮内親王殿下オキナワ移住地訪問 |
| 2002年7月 |
JICA移住融資事業廃止 |
| 2004年8月 |
入植50周年記念祭典 |
(日系社会シニアボランティア満島裕直氏 作成の資料より抜粋)