ボリビア日本語教育研究委員会
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壮行会で、右から今里、仲宗根、仁田原、林、望月、米倉、福永。
立川技術専門校自動車整備技術科江崎先生、糸原先生と。

第32期移住者家族子弟研修生が、このたび2年間にわたる研修を終了し、3月26日に帰国した。1年目は技術専門校でそれぞれの専門分野について学習し、2年目は会社に受け入れていただいて実地研修をするこのプログラム。10代後半から20代前半という若い研修生たちは、日本での2年間で何を得、感じたのだろうか。

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  「この2年間、専門技術や日本の文化だけではなく、精神的にもたくさん学びました」と話すのは建築技術を学んだペルーの中曽根秀一さん。2年目の実地研修先では、建築だけではなく、日本語や、日本人との関わり方も身につけたという。「最初は日本の社会に慣れるのに苦労しましたが、だんだん日本での仕事の厳しさと責任がどういうものなのかわかってきました。お客さんとの打ち合わせも任されましたが、僕にとっては打ち合わせが一番大変で、たまに話が通じなかったこともありました」
  この研修を受けるまで、建築というものがこれだけ好きになるとは思いもしなかったという中曽根さん。研修を終え、将来への夢を膨らませて帰国の途についた。

「研修のためにドミニカを旅立ってから早くも2年が過ぎてしまった」と、短かった2年間を振り返るのはドミニカ共和国の福永博一さん。                                                1年目の学校で、積極的に質問したり意見交換をするクラスメートたちのなか、日本語が不十分な福永さんはなかなか自分の思っていることを言葉にすることができず、圧倒されるばかりだったという。しかし、「このままではいけない」と、自分から積極的に発言し、自信のなさを克服していったのだという。悩みや不安の中、必死で勉強し、ガソリン、シャシ、ジーセルの国家試験を受験。見事3つの資格取得した。
「実地研修は学校と違っていちいち教科書を広げていられないし、時間の余裕も無く、数々の失敗を起こしました。ストレスや悩みが溜まるばかりでした」というが、研修を振り返り、「日本で学んださまざまなことや、忘れてはならないと脳裏に刻みつけた思いは、私の大人としてのスタートになっていくと思います」と話してくれた。

  「技術専門校ではいっぱい勉強し、そして同じくらいいっぱい遊びました。日本の文化を知るための大事な1年でした」と話すのは、テクニカルイラストの研修を受けたブラジルの今里恒善さん。2年目の実地研修を、「研修期間で一番つらい時期だった」と振り返る。
研修先はホンダの下請け会社で、昔使われていたホンダの整備士用マニュアルをデータ化し、パソコンで見られるようにするのが僕の仕事。毎日の残業に夜勤、日本の会社勤めの大変さを思い知ったという。「苦労をいっぱいしましたが、辛い思いをした分、他の国では学べない社会勉強ができたと思います」と前向きに話してくれた。

パラグアイの望月佳世さんは、日本についたばかりの日のことをよく覚えているという。「桜はパラグアイにほとんどありません。あっても気候のせいか満開になることはないんです。これから2年間、家族から離れやっていけるだろうか、日本の学校についていけるだろうかと不安だらけでしたが、風が吹くたびに小さくてきれいな色の桜の花びらが舞うのを見て、感動と勇気がわいてきました」。
  専門学校では、広告美術を勉強。看板のデザインから製作、パンフレットのデザインなど幅広く学んだ。
 「仕事は大変でしたが、その仕事をみんなでやり終えた時は、経験したことのないほどの達成感でした」
当初、広告美術をどうやってパラグアイで生かせるだろうかと悩んでいたという望月さんだが、2年間の研修を通して道が少し見えてきたという。 「看板ひとつで町並みはよくも悪くも変わります。それなら私は、ただ目立たせるだけの看板ではなく、町並みに調和して、看板を見る人が楽しめるような物を作り、移住地をもっときれいで活気のある町にしていきたいと思っています」と夢を話してくれた。

OAシステム開発の研修を受けたのはパラグアイの林さゆりさん。コンピュータに関してはWordとExcelくらいしか知らなかったという林さんだが、技術専門校でクラスメートや先生方に支えられ、少しずつプログラムを理解していったという。「専門学校では、パラグアイを知らないクラスメートたちに、自分の国の紹介やスペイン語講座などもやりました。1年間、授業の開始と終了の挨拶はスペイン語でした。みんながパラグアイに興味をもってくれるのがうれしかったです」と話す。また、日本滞在中の思い出として、研修生みんなで行った広島、京都への研修旅行をあげ、専門校や会社での研修だけでなく、日本の文化や歴史に触れることができたことも大きな収穫だったと語った。

  ボリビア米倉清美さんは、小さいころからおしゃれが好きで、将来はデザイナーになりたいという夢を抱いてファッションパタンナーの研修を受けた。ファッションショーを見学したときのことを「生まれて初めて本格的なファッションショーを見て、涙が出るほど感動し、この世界に一生かかわって生きたいと強く思いました」と話す。
  どんな会社で実地研修したいのかわからなくなって悩んでいたときに「ファッションアドバイザー」という仕事を知り、興味を持った米倉さんは、高倍率の面接試験を突破し、希望の会社で実地研修することになった。「店では、お客さまに怒鳴られたり、クレームをもらったりしたこともあります。いやな思いもたくさんしましたが、同時にたくさんの笑顔ももらいました。自分がコーディネイトして選んだ服を気に入って買ってくれた方、お礼を言ってくれた方など、たくさんの方から力をもらいました」。研修を通じて、人間的に一回りもふた回りも大きく成長したことが、何よりの収穫だという。

環境分析の研修を受けたのは、ボリビア仁田原尚さん。水質汚濁や大気汚染、騒音、振動工学などを勉強し、三鷹市の下水処理場で実地研修をした。「処理場での研修は、私がこれまでもっていなかった下水道のイメージを与えられ、下水道が水の循環システムのなかでどれだけ重要な役割を果たしているのかを認識しました」と話す。「私の生まれ育ったボリビアは、南米の最貧国といわれていますが、その分眠っている資源もたくさんあります。環境を汚染してしまってから対策を考えるのではなく、自然界と上手に共存しながら成長することの重要性を感じています。これからもさらに勉強や経験を重ね、社会に貢献できるような役割を追及していきたいです」と帰国後の抱負を語ってくれた。

【”移住家族”4月30日(平成16年)第417号 (財)海外日系人協会発行 より】

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