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日系新世代が躍進!
〜ボリビアの全国統一市長選〜

市長選を戦った日系人たち

伴井勝美氏
 

それは、まるで「勝者」の凱旋風景であった。ボリビア統一地方選から三日後の今月八日、サンタクルス県庁を訪れた日系二世・長谷倫明さん(四四)は「おめでとう」の歓呼と握手攻めに見舞われた。県都サンタクルスの市長選に挑んだ彼は、当選を果たした訳ではない。成績こそ二十二候補中七位に終わったものの、街頭に看板一つ出さない無名の新人が並み居る大政党の候補に分け入った快挙で、一躍「時の人」となったのである。道行く人からも次々と声がかかる。「今、選挙をやり直せば勝てますよ」と長谷さんは笑った。

同じ日の夕方、市内の選挙管理委員会にもう一人、二世の勝者がいた。こちらは正真正銘の当選者。長谷さんの出身地でもあるサンファンの初代市長となった伴井勝美さん(三八)である。同市の中核は日本人移住地だが、すでに人口の九割以上はボリビア人。その中で総投票数の五四パーセントを占める完勝であった。各地の選挙関係者が手続きに集まった会場で、彼もまた祝福する人の輪に囲まれた。

ブラジルと国境を接するこの亜熱帯の県に、日本人移住地「オキナワ」と「サンファン」が生まれたのは、一九五〇年代半ば。それから半世紀の歳月を経て、移住地生まれの新世代が政治の世界へと足を踏み入れたのである。

サンカルロス市からの独立が認められたばかりのサンファンでは初めての市長選。二移住地の出身者が多数住むサンタクルス市でも、日系人の出馬は初めてだという。ちなみに一足先に市に昇格したオキナワでは、五年前、帰化一世の平良勝芳さん(五四)が初代市長に選ばれたが、今回は数十票の僅差で再選を逃している。

伴井勝美(ばんい・かつみ)
1966年サンファン生まれの二世。日本海外移住家族連合会の移住者家族子弟研修生として80年から2年間、インテリア施行を学ぶ。サンファン日ボ協会およびサンファン市役所の経理担当を経て、今年1月にはサンタクルス県知事の任命でイチロ郡の郡長に就任。9月末に市長選出馬のために辞任。
 

 

次回への確実な手ごたえ

今回の統一選では、政党のほか市民グループの参加も認められることになり、長谷さんと伴井さんもそれぞれ独自の会派を結成した。

長谷さんのグループは「MACA(市民行動運動)」。サンタクルス市政の汚職体質や官僚主義を変えようと、若手の企業経営者らが作った団体で、日系人は長谷さん一人。
「最初は裏方のつもりで加わったのですが、すぐ候補者にされてしまいました。こちらで日本人といえば、正直、勤勉というイメージですし、人種の異なる新旧市民の双方から支持を得るには、日本人の候補がいいだろう、と」

長谷さんは高校を卒業後、日本での研修を経て、コロンビアの大学に進学。日本大使館の現地職員として働きながら、国際関係論を学んだ。ボリビアには九五年に帰国。以後、微生物農薬の販売などに従事している。

選挙運動は全くの手作りだった。人口の多い貧困地区に的を絞り、戸別訪問を重ねた。一見、場違いなネクタイ姿が新鮮で誠実な印象を与えた。運動費は計四千ドル足らず。有力候補と比べると桁違いの少額だったが、口コミで支持の輪は広がった。

運動の最後は、ショベルカーやダンプの行進で締めくくった。「腐敗や官僚主義を片付ける」という演出である。麦わら帽をかぶり、車両から手を振るその姿は、隣国ペルーのフジモリ元大統領がトラクターで練り歩いた初当選時を思い起こさせる光景だった。

有力三候補に比べると、マスコミの扱いはあくまで「異色の候補」止まり。倫明(みちあき)の名を「ミチャキ」「ミシアキ」と、最後まで誤表記するメディアもあったが、結果は前述した通り。政党不信がかつてない広がりを見せ、政党出身候補の得票が激減する中、純粋な市民グループ候補として最高位の得票を果たした。
「今回はあくまで第一歩。目標はあくまで二〇〇七年です」
長谷さんはそう言って、国内メディアには伏せている大統領選への意欲を明かした。

  長谷倫明氏
 
長谷倫明(ながたに・みちあき)
1960年サンファン生まれの二世。高校卒業後、80年に長崎県の県費留学生として来日。電気工学を学ぶ。コロンビアへ渡り、大学を卒業後、在コロンビア日本大使館勤務を経て、ボリビアに帰国。現在はサンタクルス市でコンサルティングおよび貿易業を経営。

 

日系人へ寄せられる期待

伴井さんもまた、ボリビアにUターンした二世である。日本での研修を経て九三年までホンジュラスで通訳として働き、帰国後はサンファンの日ボ協会に勤務した。一方で「大衆参加法」という新法によって、各地区の代表者から成る会議に自治体事業の決定権が委ねられると、住民代表として自治活動にも参加。その活躍から、今年一月にはサンファンを含むイチロ郡の郡長に任命され、九ヵ月間、郡行政を司った。

市長選のために組織したグループは「サンファン二十一世紀」。こちらもまた、メンバーの大半はボリビア人が占める。移住者や二世も応援してくれたが、その多くは表に出ることを好まず、側面からの支援という形になったという。

移住地ならではの問題もあった。圧倒的多数の貧しいボリビア人と少数の豊かな日本人という住民構成である。そこには「なぜ日本人だけが」という妬みが蓄積されていた。

「選挙が始まると、他の八候補すべてが私を攻撃し、人種問題以外の争点は吹き飛んでしまった。想像もしない展開でした」
日本人への不満は自陣営の支持者すら口にしたという。
「移住者にも反省すべき点がありました。援助の恩恵をもっと周囲に分け与えるべきだったし、法定の賃金以下でボリビア人労働者を雇う人がいたことも事実です」
それでも蓋を開けると、伴井さんの大勝。日本人の真面目さや誠実さ、そして郡長時代の伴井さんの仕事ぶりに、さまざまな不満を上回る評価が下されたのである。
「結果は予想以上。この期待を裏切らないよう頑張ります」
移住者とボリビア人住民が手を携えての新たな町作り。来年のサンファン五十周年をそのステップに、と伴井さんは考えている。

取材・文 三山 喬(フリージャーナリスト)

【移住家族 第421号/2004.12.25】

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