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ア・ベ・ホタつうしん 毎月1日発行
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発行:サンフアン日ボ協会
発行責任者:日比野正靱
通信

 2007年 9月号 【通巻128号】(一部抜粋)

パークゴルフ パラグアイ遠征記


近藤恒男


  パラグアイ共和国ピラポ日本人移住地において、「パークゴルフ発足10周年記念 第6回南米交流パークゴルフ大会」の参加にあたり、役員達の御好意による壮行会を開いて頂き、「勝って来るぞと勇ましく」野田さんを団長とした夫妻、そして私達2人、老いてますます元気者の吉永のばあちゃんを始め、徳永さん、大堀さん、嶋田さん、加藤さん、米倉さん達ご婦人、合計10名の団体で、6泊7日の強行スケジュールの旅であった。道路封鎖の心配や、朝5時出発などの不便さを考えて、前日の8月7日午後3時にプラサ前を、早坂さん達の見送りを得て、チョビイ旅行社の車にてサ市へ向かい、ホテルにて1泊。旅行社の出迎えを受け、パスポート及びスケジュール表を受け取る。
  ピラポ移住地は寒いとの事で、皆、着物を沢山入れた旅行カバンを持参する。8月8日手続きを終え、9時30分ビルビル空港出発、11時、パラグアイ、アスンシオン空港に到着。現地通貨に換金し、エステ空港着は日暮れの17時10分過ぎであった。出迎えのガイド付きの車で、当然の事ながら、イグアス川に架けられた友情の橋の手前でパラグアイ出国手続き、橋を渡ってブラジル入国手続き、と、旅慣れない私達にとっては大変な事であった。ようやく予約されていた5つ星の高級ホテルに到着。チェックインの後、休む間も無くディナーショーを見物。ブラジル特有の鳥の羽を付けた派手なサンバを始め、パラグアイ舞踊、アルゼンチンタンゴ、また、ボリビアの舞踊、高い竹馬に乗って舞うコンドルの舞、瓶を4本も5本も頭の上に重ねての舞、火の玉を廻す女性、夕食付きの各国の舞踊に大満足の2時間であった。
  明けて8月9日、世界最大の発電所、イタイプダム観光。今年は雨が少ないとの事で放水量も少ない様だった。世界遺産であるイグアスの滝では、滝にかかるきれいな虹を背景に記念写真を撮る。滝の行き止まりにかかる桟橋では、上から落ちる水飛沫で雨ガッパが必要な位の水量であった。観光客で賑わう中、エレベーターで上に登り記念品を買い、上流のレストランにて遅い昼食を摂る。観光地だけあって、水1本にしても1ドルと非常に高値であった。ホテルに帰る途中、宝石店や民芸品店でそれぞれ買い込む。ホテルに帰り一休み後、道路沿いに在った日本人経営の北海スシ店へ。日本酒を熱燗で乾杯し、活きの良い海魚の刺身やにぎり寿司を腹一杯食べ、皆、大満足でホテルに帰り休む。
  8月10日、早朝より運転手が変わり、またもや出入国の手続きを終えパラグアイ側入り。目的地まで230q、車での長い道のりであった。気温が下がり雨がパラつき、天候が心配されたが、雨も上がり、皆、安心をする。途中ガソリンスタンドに立ち寄り昼食を摂る。イグアス日本人移住地迄行って、経営面について話しを聞く事になっていたが通り過ぎて後戻り。どうにか農協に着き、参事さんよりお話を聞く。
   組合員の約30%の人が資産繰りに困っているが、昨年から小麦や大豆の値段が高くなったので返済が楽になってきているとの事でした。農協でピラポ移住地に向かう道路を聞き後戻りをし、約一時間以上も遅れてピラポ農協へ到着。気温が下がり風もあって非常に寒く感じられ、具合の悪い人が出て、私も鼻風邪をひき大変だった。ピラポパークゴルフ場が少し離れた所にあり、ホテルに帰ってからまた来るのも大変、と車を降りてコースの下見をする。全コース8コース、計72ホールの上り下りの多いピラポ川が流れる川岸で、聞くところによれば、移住地は1958年入植、サンフアンと同じく原始林を切り開いた移住地で、川には魚が手で掴める程沢山いたとの事であった。農地開発と共に農薬等の流出でだんだんと魚がいなくなり、今では魚も釣れないとの事であった。
  赤いテーラロシアの土地に見渡す限りの麦畑と大豆畑、トウモロコシ等、近代的農業は見事なものであった。1時間位下見をし、また40qも道路を走り、ようやくホテルに着きチェックインする時になって、予約が取れていないとの事で、皆、大慌て。自分達で宿料を支払うから、とどうにか荷物を部屋に入れ、夕食を摂っていると、宿主の夫人がコンピューターから記入が出て来たのですみませんが明日はもっと良い部屋に移って頂きますとの事。
   8月11日、ホテル出発。会場には、「第6回南米大会」と大きく書かれた幕を背景に記念写真を撮る。加藤さんは、体が少し弱っているので試合に出ず車の中にて休む事にする。午前、それぞれのチームで各コースでの練習。玉の良く転がる難しいコースばかり。午後1時、花火の打ち上げと同時に280名が年代別に分かれての試合が進む。
   参加者は、ブラジル、ボリビア、地元パラグアイで、アルゼンチンは不参加であった。幸いにも昨日と違い暖かい日となり、上り下りの起伏の多いコースを夕方迄に4コースを廻り、またホテルに引き上げる。今度は上等の部屋であった。
   翌12日、暖かい陽射しの中、別のコースを廻る。二打でホールに入り喜ぶ間も無く溝に落ち込みOBの連続。上手く打ち上げホールに入ったと思いきや、玉は飛び出し坂を転がり、悔しい難所ばかりでした。12時過ぎ、試合終了後昼食会に続いて、各年代別では、女子70才の部では家内が5位入賞、野田夫人がチャコ戦争当日賞、大堀夫人がブービー賞と、3名が賞を頂きました。吉永のばあちゃんは遠征前に腕を怪我して、80才以上は2人だけでしたが、残念にも玉が上手く飛ばず入賞出来ませんでした。
  来年はブラジル国ロンドリーナにて第7回南米大会を開くので多数参加して欲しい、との事でした。授賞式の途中であったが会長さん達にお礼を言いホテルへと向かう。約180q。ブラジルとの友情の橋の見える見事な夜景はホテルの前の通り。まさにパノラマを見る様な気分でした。
  13日、早朝エステ空港に到着。手続きの際、荷物をアスンシオンで引き取る事無くサ市ビルビル空港で受け取る事とし、10ドルを支払うが、印紙には2ドルとあった、とアスンシオンで出迎えてくれたピラポ移住地出身の女性が解り、空港係に話しをしてくれたが領収書が無いのでそれで終いとなる。
  夕方4時30分発まで時間があるので、車でガイド通訳つきで観光。パカライ湖始め、大統領官邸、英雄霊廟、世界遺産に申請中と言う古いヨーロッパ風の家が建ち並ぶ町、焼き物の町として栄えた、庭先で土をこね小さな窯で焼いたカエル、カッパ、鶏や大きな壺等が到る所に並ぶ町や、苺の特大が赤く熟れたカゴがずらりと並ぶ道路沿い、苺、ジャム、また、お酒などを買い込み湖を見物するが、水は汚く魚も住んでいないとの事でした。4時40分、アスンシオン空港で通訳の人のお蔭で残った現地通貨も空港使用料として払い、申告書も書いて頂き大助かりであった。礼を言い飛行機に乗り込む。6時30分。少し遅れてビルビル空港着。チョビィ旅行社の出迎えでサンフアンへと向かう。強行軍で皆疲れ、車の中では居眠りする人ばかりであった。無事全員帰り着いた事を喜び合いながら帰宅したのであった。
  最後に、今回の旅行中での食事や飲み物等の支払いを、一番若い米倉夫人に会計をお御願いいたし、さぞ頭の痛かった事と感謝しながらの旅行であった。


パークゴルフの選手陣。お疲れ様でした!

 

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